1987年4月17日(金)午前。
高校3年が始まったばかりのおだやかに晴れた春の日。
数日前から父に自宅内軟禁されていたわたしは“その”タイミングを見計らっていた。 といっても父は仕事なので母が家にいて見張っていただけ。「許しを得られると確信をもって告白した計画」はわたしだけが「NO!」を喰らい、強行突破防止のため、さらにその2日も前から学校すら休まされていた。
《4.19 実行メンバー》は同級生女子4人。うち2人が野宿組。その計画は早くも冬のうちから始まっていて、初めて行く憧れの東京に少女4人は本当に浮き足立っていた。「2日前から並べば東京に住んでいる人にもきっと負けないはず」「前々日ならば 絶対に誰もまだ並んでいないはず。」そしたら「わたしは絶対ギターの真ん前を陣取れるはず!」
そもそも東京在住のファンの子たちのように「その日曜日1日そこへ行けば良い」という話ではないのだ。アナログな時代なりに移動方法や当日寝床になるホテルの場所も綿密に調べ、「野音の門前全席自由の先頭に並ぶのは広島の少女だ!計画」はスムーズに運ぶハズ...だったのに、直前になってわたしはプラスワンのイレギュラー任務を遂行しなければいけないハメに。
それは「THE 家出!」
何度も何度も食い下がった懇願がかなわなかった果てには、そうするよりほかあの憧れの場所で、あの憧れのギターの人に会える手段はなかった。
学校に行くと言って抜け出すことを警戒され、もう2日も自宅に閉じ込められている。 が、その2日間わたしは実にしおらしい態度でいた。(ションボリ、ぐったり、悲しみで気力も食欲もない様子) でもそれは親に信じ込ませるための演技だった。「この子はあのコンサートにいくことをあきらめた」んだと。
さも学校のものを届けてもらっているかのごとくに前夜 家にきた相棒と決行の「最終打ち合わせ」をし、翌朝彼女はその計画の時間通り、自宅近くにタクシーを呼びつけ、窓下から合図の石を投げた。
わたしは悟られないように2日かけてひそかに詰めた大きなスポーツバッグとバイトで貯めたありったけのお金とチケットが入ったリュックを2階の窓から思い切って投げ落とし、勉強机の上の書き置きを振り返った後、「よし」と深呼吸をして、努めて興奮をおさえながら階下に降りた。
「ジュース買いに出てもいい?」
...
≪回顧録 1987.4.19≫ 2 に続く... (更新日未定)